★ 『口』は轟き、『目』は嗤った。 ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-1445 オファー日2007-12-15(土) 20:02
オファーPC 神宮寺 剛政(cvbc1342) ムービースター 男 23歳 悪魔の従僕
ゲストPC1 ベルヴァルド(czse7128) ムービースター 男 59歳 紳士風の悪魔
<ノベル>

 1.今日も今日とて驀進中。どこをとは訊くな。

 神宮寺剛政(じんぐうじ・たかまさ)は、今日もぶっちぎりで不幸だった。
「ちょ、ま、待て……俺はジジイの遣いで来ただけで……」
 場所はカフェ『楽園』。
 時刻は午後十二時前。
「いやだわターシャちゃんたら、そんな、照れちゃって。わたしたちとあなたの仲なのに、『待て』だなんて、つれないこと」
 剛政の不運その一、今日は『楽園』が空いていたこと。
 その日が平日だったことと、一般的には給料日前だったこと、そしてどうやら、店主である神代の森の女王が用事で出かけているらしく、彼女の淹れる様々なお茶を目当てに通い詰めている面々が不在であることが複合的に作用した結果らしい。
 閑散としている、というほどではないものの、いつものような賑わいはなかった。
「どんな仲だそれは! っつーか、照れてねぇって何度言ったら判るんだよあんたらは! あんたらの首の上に乗っかってるその丸いのはもしかして飾りか何かなのか!?」
 剛政の不運その二、『楽園』が空いている所為で、森の娘たちが暇を持て余していたこと。
「まあ……ターシャちゃんたら、生意気なことを言うようになったのね! うふふ、そんな強気なターシャちゃんも可愛いわ。ええと……ツンデレというのだったかしらね、こういうのを」
「異世界ファンタジーの登場人物が半端な知識仕入れてんじゃねぇよ! っつか、ツンでもデレでもねぇっ!」
「それはさておき」
「話題の転換早っ!? って、え、な……なんだよ……?」
「あのね、先日手芸屋さんに行ったら、とっても素敵な布が売っていたの。しかも、特価とかで、いつもの半額以下で買えたのよ。それで、嬉しくなって、こんなものを作ったの、試着してみてくださらない?」
 剛政の不運その三、最年長の森の娘であり女王に代わって店の切り盛りもするリーリウムが、新作のワンピースをいくつも仕上げていたこと。
 今回は、非常に手触りのよい布地をハイネック・ワンピースに仕立て、袖口と裾にふわりとしたシフォン素材をあしらい、首元には繊細なレースをあしらった、ワインレッド(ワンピース部分)+黒(シフォン部分)の、大変ガーリーな代物が剛政の前に提示された。
 明るめの色合いの革で作ったブーツも準備済み。
 アクセサリは大ぶりのパールをつなげた今風のものだ。
「いやいやいや、ちょっと待て、な!? 何で俺が名指しでそれを着なきゃいけねぇんだよ、何か絶対的な真理が間違ってるだろ!? まずはそこをよーく考えろ、頼むから!」
「あら……だって、ターシャちゃんにとっても似合うと思うのよ、これ」
「だってもクソもねぇ! 似合うわけねぇだろ!」
「大丈夫、首筋や腕のごつごつ感を隠すために、首元はハイネックにしてあるし、肩にはショールをかけるようになっているわ」
「大丈夫とかそういう問題でもねええ……!」
 腹の底から声を絞り出したあと、このまま問答を続けていても埒が明かないと、剛政は最後の手段に出ることにした。
 つまり……逃亡である。
 まだ主人の命令であるスイーツの購入を果たしていないが、剛政の『男としての大切な何か』を守るためには仕方がない。
「あんたらに付き合ってると何か色んなもんが磨り減るっ!」
 半悲鳴のような叫びを上げつつ、リーリウムの手を振り払って、逃げの態勢に入った剛政だった、が。
「あら……逃げようだなんて、往生際の悪……じゃなくて、恥ずかしがり屋さんなんだから」
 剛政の不運その四、リーリウムが『何かあった時のために』と女王にいつものツタを借り受けていたこと。
「んなっ……え、ぎ、ぎゃーッ!?」
 剛政が、ざわざわと蠢いた緑色の強靭なロープに、四方八方から群がられ、身動きひとつ出来ないほどぐるぐる巻きにされるまで、ほんの数秒もかかっていなかっただろう。
「う、うう……またこのパターンなのか……!」
 すでに泣きそうな剛政に、責めるような詰るような、それでいて楽しげな表情を浮かべたリーリウムが、美しいワンピースを片手に音もなくにじり寄る。なまじ姿かたちが美しいだけに、かえって怖い。
「駄目よ、ターシャちゃん。ご主人様のお遣いがまだ済んでいないでしょう?」
 剛政の不運その五、そんな悪条件が重なった日に、主人である悪魔紳士の遣いでスイーツを求めにカフェ『楽園』を訪れる羽目になったこと。
「そんなもん知るかッ、ジジイのスイーツより、俺のプライドとか面子とかその他諸々の方が大事に決まってんだろーが! いいから離せ、俺は金輪際あんなもんは着ねぇッ!!」
「まあ……あんなもん、だなんて。失礼しちゃうわ。これは、お仕置きが必要、かしらね……?」
「あら素敵ねリーリウム、お仕置きだなんて。何をするの? いばらの鞭で骨が見えるまで打(ぶ)つのかしら。それとも、お姐さまのツタで逆さ吊りにして水責め? それとも、革の拘束具をつけて全身くすぐりの刑かしら? どれも楽しそうね、ドキドキしちゃうわ」
「ぅおいそこの森の娘ッ! 何でそんな危険な罰を嬉々として語ってんだよッ!? いい加減訴えるぞ!? 絶対に勝つからな!?」
「あら……ごめんなさい、剛政さん。そんなあなたを想像してついついときめいてしまったわたしを許してね」
「想像すんな! ときめくな! そんでとりあえず解け!」
「うふふ、イーリス、わたしも確かにそんなターシャちゃんにはときめいてしまうけれど、今回のお仕置きはもっと素敵よ」
「そうなの? じゃあ……一体、何を?」
「ぅおい無視すんなー!?」
「ふふ、あのね、……、……」
「まあ……! 素敵ね、想像するだけでときめくわ!」
「ちょ、おい、何だその含み笑いと意味深な視線と内緒話!」
 リーリウムとイーリスの背後にほの黒いオーラを幻視して叫ぶものの、腹黒ゴーイングマイウェイなふたりは堪えた様子もなく、花の顔(かんばせ)を見合わせてにっこりと笑った。
「さあ……じゃあ、まずは、当初の目的を果たそうかしら。ねえ、イーリス?」
「ええ、そうね、リーリウム。ニュンパエアとマグノーリアにも声をかけてあげなくてはね!」
 剛政には迷惑極まりない鶴の一声、別名、死刑宣告。
「ちょっ……」
 いつも通りのことではあるのだが、剛政が蒼白になる。
 うふふ、と、神聖生物が笑った。
「……!!」
 そして、悲鳴、暗転。
 美★チェンジ完了まで、わずかに十数分。
 メイクを入れてこれなのだから、どれだけ慣れてるんだ森の娘、という話である。
 ――結論。
 神宮寺剛政は今日も超弩級に不幸だ。
「ううう……一体何回目だ、この仕打ち……!」
 前のめりに打ちひしがれる姿勢、マークで言えば『orz』で落ち込んでいる剛政の周囲で、森の娘たちがきゃあきゃあとはしゃぐ。
「ツンデレ美少女のターシャちゃん、素敵ね!」
「美少女!? 何か年齢詐称でJAR○とかに訴えられそうな単語だなオイ!?」
「ええと……こういう時、何と言うのだったかしら?」
「『萌え』よ、リーリウム」
「ああ、そうそう! 『萌え』って本当に素敵!」
「ツンデレでもなきゃ美少女でもねぇし、『萌え』の対象でもねぇッ! だから、半端な知識仕込んでんじゃねぇっつの!!」
 スカートの裾が短く、中が見えるんじゃないかと不安で、立ち上がるに立ち上がれないまま剛政は叫ぶ。おまけに、全身を撫で回すかのように脱毛されてしまい、すべすべの脚が気味悪くて仕方がない。
「ああ、楽しかった。ターシャちゃん、試着どうもありがとう、何ならこのまま着て帰ってくださっても結構よ」
「魂の奥底から遠慮させてくれッ!」
「うふふ、恥ずかしがり屋さんね、ターシャちゃんは。もちろん、そんなところも可愛らしいのだけれど」
「何をどこからどう見たら恥ずかしがり屋さんとかいう結論に達するのか小一時間議論してぇ……」
 この店に来てたかだか一時間でぐったりと疲れ果て、剛政は盛大すぎる溜め息をつく。
 毎回これでは正直身が持たない気がするが、きっと主人にせよ女王と非道な仲間たちにせよ、剛政のそんな気持ちなど斟酌してはくれないだろう。
「ともあれ、ご主人様のお遣い、お疲れ様、ターシャちゃん。これ、新作の、雪人参とオレンジのタルトよ、お持ち帰りになってね」
 くすくす笑ったサリクスが、色鮮やかなオレンジに彩られたタルトをワンホール、美しい箱に入れて剛政に差し出す。
「ん、あ、ああ……ありがとよ」
 ようやく目的が果たせた、と、再度溜め息をつきながら箱を受け取った剛政は、ふと、何の気なしに巡らせた視線の先に、
「……?」
 ものすごい勢いで、多種多様なスイーツを詰め込み続ける客を見つけて眉根を寄せた。
 客は、三十代半ばと思しき女で、彼女は、次から次へと、いっそ悲壮ですらある勢いでもって、チョコレートとオレンジのタルトや、塔のようなミルフィーユ、宝石のような苺のタルト、シュトロイゼルのタルト、洋酒に漬け込んだダークチェリーのタルト、パンプキンパイ、果てはキッシュやサンドウィッチを、次から次へと口に入れてゆく。
 それだけ大量に食べながら、彼女は、頬がこけ、手の甲に骨が浮くほど痩せているのだ。
 一種、異様な光景だった。
 何なんだろう、と思いつつ視線を戻した剛政は、森の娘たちが、緩やかな微苦笑をその唇に載せて女を見つめているのに気づいて首を傾げた。
 それは、侮蔑を含まない、純粋な憐れみだった。
「あんたら、何か知ってんのか?」
 だが、返った言葉は否定だ。
「いいえ」
「じゃあ何で」
「わたしたちごときが口を出す必要はないと思うわ。気の毒には思うけれど」
「……?」
 不審げに眉根を寄せる剛政に、満面の笑みを浮かべて見せ、リーリウムが首を横に振る。
 それから、
「ああ、そうそう、これはターシャちゃんの分」
 いっそ見事なくらいの勢いで、話題を転換してみせた。
「へ?」
「お遣いのお駄賃よ」
「この年でお遣いのお駄賃とか言われても微妙な気分だな……」
「うちのシェフ特製の、仔牛のカツレツを挟んだサンドウィッチよ。要らない?」
「要る」
「即答ね」
「そりゃ、あいつの作るメシは美味いからな。うん、ちょっと元気出た、ありがたくもらって帰るわ」
「ええ。……少し、頑張っていただかなくては行けないことが増えそうだから」
「ん?」
「いいえ、何でも。独り言よ、気にしないで。では、気をつけて帰ってね」
「おう。とりあえず、着替えてからな」
「あら、そうだったわね、忘れるところだったわ」
「……今、そのまま帰ればよかったのに、っていうニュアンスをひしひしと感じた……」
「まあ、ターシャちゃんたら鋭いのね! もしかして、読心術者?」
 判っていてやっています感たっぷりのオーラを漂わせるリーリウムに脱力しつつ、ひとまず、剛政は『元の自分』に戻るべく控え室へ向かう。すでに道順を覚えてしまっているのが虚しい。

 ――ふと見遣ると、女は、まだ必死に食物を詰め込んでいた。
 寒々しい光景だった。



 2.業(ごう)か、愚(ぐ)か

「帰ったぞ、ジジイ」
 タルトの箱と自分用のサンドウィッチが入った袋、そして店を出る直前、主人に渡してくれとリーリウムから頼まれた紙袋を手に、剛政がマンションへ戻ると、主人であるベルヴァルドは、
「おや、お早いお帰りで、ターシャ殿」
 などと、薄笑いを浮かべてのたまい、剛政に思わず握り拳を作らせた。
 誰の所為だと突っ込んでやりたいが、突っ込んだところで無意味なので割愛する。
「タルトはとりあえず冷蔵庫に突っ込んどくからな、早く食えってよ」
「無論です」
「あとこれ、リーリウムがあんたに渡せって」
「ほう?」
 言いつつ受け取ったベルヴァルドが、紙袋をチラと見遣ってから、何ともいえない笑みを浮かべて剛政を見、そして大きく頷いた。
「んだよ」
「……いいえ、なんでもありませんよ。ただ、素晴らしいものをいただいた、と思っただけです。また、試させていただきましょうかね」
「……?」
 妙に楽しそうな悪魔紳士を不審に思ったものの、剛政の意識はすでに、昼食用のサンドウィッチに向いている。思い出したくもないが、色々と疲れたのもあって、剛政は空腹だったのだ。
 コーヒーと即席スープをさっと準備し、テーブルに着いて、『お駄賃』をありがたくいただいていると、
「……妙な女がいましたね」
 ふと思い出した、と言った風情でベルヴァルドがつぶやいた。
 サングラスに隠された目が細められているのを見て取って、剛政はサンドウィッチを頬張りながら首を傾げる。
「んあ?」
「件のカフェに、です」
「……ああ」
 スイーツや軽食を必死に詰め込む女を思い出し、剛政は肩をすくめた。
 剛政の主人であるベルヴァルドは、彼の五感を自由に使うことが出来るため、剛政が見たものや聞いたものはすべて、このソフトで優雅で超弩級サディストの悪魔紳士のものでもあるのだ。
 あの光景を、剛政を通して見ていたとしても何ら不思議ではない。
「あれはちょっと異常だったな。何か知ってんのか?」
「……そうですね」
 くすり、と笑い、ベルヴァルドが指先を頤(おとがい)に当てる。
「これは、最近の話なのですが」
「ああ」
「ある漢方系のダイエット食品を常用している者が、異常な食欲に襲われ、暴食を繰り返すにもかかわらず痩せ衰えていく、という奇妙な現象が起きているようですよ」
「じゃあ……さっきのあいつも、か?」
「そのような気配がしますね。現在、そういった症状を訴えている市民は、百人を超えるそうですよ」
「そりゃ、結構な数じゃねぇか」
「そうですね。食べることの出来る幸いを忘れ、痩身のためにあくせくするなどということは、どうにも私には理解出来かねますが……まぁ、それで退屈が凌げるのならば、悪くはありませんね」
「いやまぁ俺もダイエットとか正直理解出来ねぇけどよ。ンなこと知ってるならさっさと対策課に言えよ」
 剛政の言はもっともだったが、ベルヴァルドはいっそ清々しいほどにそれを無視し、
「……面白いことになりそうですね」
 と笑った。
 そして、サンドウィッチを食べ終えてコップとスープカップを洗っている剛政に、郊外の薬局でそれを入手するように命じる。
 せっかく帰ってきたのにまた遣いに出されると判って、剛政はもちろんいい顔をしなかったが、
「はあ? 何でそんなもん……」
「四の五の言っていると、また『楽園』に飛ばしますよ?」
 ご主人様のそんな鶴の一声の前には無力だった。
「……行って来りゃいいんだろコンチクショウ」
「素直でよろしい」
 薄く笑う主人に、胸中で拳を握りつつ、ジャケットを羽織って出かけた剛政が再度帰宅するのはそこから四十分後だ。
「はー、何か、ダイエットサプリって、どこのもあんまり代わり映えしねぇよな」
 テーブルの上に置かれたダイエット食品の箱、刺激的な宣伝文句が踊るパッケージには、『アパスティアー』という商品名がでかでかと踊っている。剛政はそれと、あおり文句を交互に見比べて、首を傾げる。
「『飲み続けるだけで、食べる量はそのままでも脂肪を燃焼して痩せられる!』ねえ。何か……贅沢だよな、人間って。食いたい、でも痩せたい、なんて」
 剛政の物言いにかすかに笑い、ベルヴァルドはサプリの箱を見下ろす。
「それを業と呼ぶか愚と呼ぶかは、君たちに委ねられているのでしょうが、ね。さて従僕、これを見て何か感じることは?」
「え、この宣伝文句を考えた奴は、もーちょっと頭を捻るべきだと思う」
「……それだけですか?」
「それ以外に何があるってんだ?」
「……君のその鈍感さは、ある意味賞賛に値しますね」
 剛政としては間違ったことを言っているつもりはないのだが、ベルヴァルドには満足の行かぬ答えであったらしい。剛政の返答に呆れつつ、指先をツと動かしたベルヴァルドが、サプリに向かって魔力を放つ。
 と、
「げっ、何だこりゃ!?」
 白いタブレットがみるみる溶けて、どす黒いスライム状の、身体中に口がついた醜悪な魔物と化し、剛政は目を見開いた。
 ぶるぶると震えたそれが、窓ガラスを鉄の爪で引っ掻くような、怖気をそそる叫び声を上げ、ベルヴァルドと剛政に牙を剥く。
 剛政は思わず身構えたが、冷酷に嗤ったベルヴァルドは、
「欠片ごときが、小賢しい」
 指の一閃、魔力の一滴だけで、『それ』を粉々に砕いてしまった。
 ぐちゃり、という生々しくおぞましい音を立て、床へと散らばったそれは、しばらくぐねぐねと蠢いていたが、ややあって、空気に溶けるようにして消えていった。
「……懐かしい匂いがしましたね」
「んあ? 何のこと――」
 と、剛政が首を傾げるよりも早く、頤に指を当てて一瞬思案したベルヴァルドは、すぐに視線を剛政に向け、
「従僕、もう一度行きたまえ」
 そう言って、魔力を込めた指先で剛政を指差した。
 途端に、ふわり、という浮遊感があって、
「っちょ、テメ、またかよ……ッ!?」
 剛政の身体は、ベルヴァルドが創り出した『通路』へと飲み込まれる。
 抗議の声を上げる暇もなかった。
(アイツ絶対に殴る!)
 胸中に歯噛みしつつ、異空間に身を委ねた剛政は、
「……ん」
 『出口』から漂ってくる、強い、禍々しい魔力に気づいて表情を引き締めた。
「頑張らなきゃいけねぇことって、もしかして、これのことか……?」
 リーリウムの言葉が脳裏をよぎり、溜め息がひとつ漏れる。



 3.【悪食の王】ガストリマルゴス

 目を開けると、そこは、先ほどダイエットサプリを購入した薬局の内部だった。
「……なんだ、この、気配」
 空気の匂いを嗅ぎ、ぐるりと周囲を見渡して、剛政は更に奥へと踏み込んでゆく。ただの薬局とは思えぬほど広い内部の作りと、あちこちに設置された怪しげで禍々しい像や文様は、ここが、健康のためのあれこれを司る場所ではないということを教えてくれる。
「臭う、な」
 ちなみに、店先にしか入らなかったのに、何故ここが内部と判るのかと訊かれれば、あのスライムのような化け物と同じ臭いがしたからだ、と答えるしかない。
 これは恐らく、魔力が持つ臭いだ。
 普通の、何の変哲もない人間には感じられない類いの。
「……こっちの方が、臭う、か」
 眼差しを鋭くし、剛政は更に奥へ奥へと進む。
 五分ほど進んだ辺りで、階段を見つけた。
 階段は、下へ下へと伸びているようだった。
 躊躇わずに足を踏み入れ、階段を降るに連れ、臭いは、ますます強くなってゆく。
 目を眇め、見つめた先に、扉が見えた。
「地下室……?」
 つぶやき、慎重にドアを開けて、内部に身体を滑り込ませる。
 広い部屋だった。
 普通の民家が二十軒は入りそうな規模だ。
 ――広く、異様な部屋だった。
「ンだ、こりゃあ……?」
 魔力という名の臭気が濃厚に満ち満ちたその部屋には、意味は一切判らないのに、見ているだけで背筋が寒くなる、黒々とおぞましい文字が、床にも壁にも天井にも、それら一面に踊っていた。
 部屋の中央にあるいびつな円陣は、何かの呪いだろうか。
「……」
 眉をひそめて周囲を観察していた剛政の、その背後から、
『キシャアアアアアアアッ!!』
 金属が軋むような咆哮とともに、薬局の主人と思しき男が襲いかかった。
 思しき、というのは、先刻笑顔でダイエットサプリを手渡してくれた男は灰色の肌はしていなかったし、両方の頬に口がついてもいなかったし、身の丈が二メートルを超えているわけでもなかったし、何より角も牙も蝙蝠のような翼も持ってはいなかったからだ。
 それは、悪魔という表現がぴったりと当てはまる姿だった。
「な……!」
 警戒はしていたものの、予想よりも速い動きに、完全に対処しきれず、悪魔に組み伏せられ、咽喉笛を食い千切られそうになって、剛政は舌打ちをした。両拳に魔力を込めると、悪魔を思い切り突き飛ばし、自由を取り戻すと同時に距離を取る。
 背後にある陣が、じわりと何かを発している気がしたが、今はそちらを言及している場合ではなく、剛政は悪魔を睨み据えた。
「何だ、テメェは」
 剛政が低く問うと、悪魔は三つの口からカカカ、という音を発した。
 嗤ったのかもしれない。
『我が名はプソポス。偉大なる王に仕える魔の者なり』
「……テメェが、あの妙なサプリを町にばら撒いたのか? 目的は何だ?」
『死に逝く者がそれを知って、どうする』
「ンだと?」
 剛政が眉をひそめると、カカカ、と音を立てた悪魔は、
『ここを見たからには生かしてはおけぬ』
 そう言って、剛政の背後を見遣った。
 そして、恭しく一礼し、膝をつく。
「な、」
 言葉を継ぐ時間はなかった。
 次の瞬間には、背後の陣から浮かび上がった醜悪な肉塊、どす黒く、小山のようなサイズを持ったそれに、強かに打ち据えられて吹っ飛び、壁に激突していたからだ。
「ぐ……!」
 肋骨にひびが入ったのが判った。
 犬歯で口のどこかを噛み切ったらしく、金臭い臭いが広がる。
「何だ、コイツ……!」
 咳き込みながら見上げたそれは、あえて喩えるならば、全長五メートルほどにもなる年経たトカゲを直立させ、大量の肉とごつごつとした岩肌色の皮膚を与えたような姿をしていた。
 無論それも、トカゲが、一緒にするなと怒る程度の相似ではあるのだが。
 異様なのは、その全身に、鋭い牙の覗く口がついていることだろう。
 ぱかぱかと開閉するそれらは、空気中に含まれる微生物ですら喰らい尽くそうとでも言うように、がちがちと牙を噛み合わせている。
 だが、もっとも寒々しくおぞましいのは、到底ヒトと同じ思考する存在であるようには見えない『彼』の金眼が、歪んではいるものの、明らかな知性と感情を宿していることではないだろうか。そして、『彼』が、黒々と禍々しくはあるものの、ある種の神々しさとでも言うべき、下等な魔物には持てぬ強大な魔力をまとっていることではないだろうか。
『【悪食の王】ガストリマルゴスを讃えよ』
 悪魔プソポスが、恭しく、歌うように告げた。
『其は偉大なる本能の支配者なり』
「【悪食の王】、だぁ……?」
 折れた骨、砕けた肉が再生されてゆくのを感じつつ、剛政は胡散臭げに眉根を寄せる。
「……あの欠片は、てめぇか」
 どす黒い、全身に口のついた身体を目にしたときから、何となく予想はついていた。あの不気味な化け物を内包したサプリと、あれだけ暴食しながら痩せ衰えて行く人々との関連性にも予想がついた。
 あれは、この【悪食の王】とやらが、何かの目的あって人体の内部へと自分の分身を送り込み、それによって養分を得ていたのだ。だから、食べても食べても、被害者たちは衰弱してゆく一方だったのだ。
『いかにも』
 いまだ床に転がったまま起き上がれずにいる剛政を優越感と嗜虐性たっぷりに見下ろし、低く轟くような声で【悪食の王】が頷く。
 値踏みするようにぬめる金眼が不愉快で、剛政は顔をしかめた。
『我が復活を完全なものとするために、我が下僕は心を砕いた』
「あれを飲んだ連中の腹に宿って、養分を横取りってか。偉大だとか言うにしちゃ、セコいんじゃねーの?」
 剛政の挑発に、【悪食の王】は乗ってこなかった。
 寒々しい慈悲を滲ませて、剛政を見下ろしただけだ。
『好きに言うがいい。何にせよ、我が復活は為ったのだから』
 それは偉大な出来事であるらしく、悪魔が深々と頭(こうべ)を垂れた。
 【悪食の王】はそれを心地よさそうに見たあと、剛政を再度見下ろして舌なめずりをした。
『だが……そうだな、もう一匹ばかり、喰らっておいても、よかろうな。活きのいい人間の断末魔は、とてもいい栄養になる』
 弱いものをいたぶる優越感と、紛れもない食欲とを覗かせて、巨体をぶるりと蠢かせ、【悪食の王】が剛政に太くてごつごつとした腕を伸ばす。
 あの腕に囚われてしまえば、逃れることもかなわずに、『彼』の口の中へ真っ逆さまに落ちてゆくしかないだろう。
 しかし、
「やれやれ、懐かしい匂いがすると思えば……君でしたか」
 剛政が何かモーションを起こす前に、その声は響いた。
 室内の空気が、あからさまに変わった。
『貴様は……!』
 【悪食の王】が、悪魔プソポスが、全身から殺意を滲ませる。
 剛政の前に唐突に立ったベルヴァルドは、無論、まったく動じることなく、支配者の――蹂躙するものの顔で薄く笑っただけだったが。



 4.『口』は吼え、『目』は嗤った

『今日は何と佳(よ)い日だ!』
 金眼を爛々と輝かせ、【悪食の王】が吼える。
 『彼』の内心を代弁するごとくに、全身の口が、轟々と咆哮を轟かせた。
『もとよりそのつもりで力を蓄えていたことは事実。だが……復活を遂げたその日に、我が主、我が王の仇敵と巡り会うことが出来ようとは! これも、魔王陛下のお導きに違いない!』
 【悪食の王】の全身を激烈な殺意が彩ってゆく。
 生温かい、胸が悪くなるような風が渦巻いた。
「……おいジジイ」
「どうしましたか。無様に潰れていないで、早く立ったらどうです。じきに始まりますよ」
「判ってるっつの。もう治ったよ」
「それは重畳。――で、なんですか」
「アイツ、何だ」
「あれですか。かつて私が魔界にいた頃に、魔界最大勢力を誇る魔王とその一族がおりましてね。以前は私もそこに在籍していたわけですが」
「ああ」
「その魔王麾下の五師団のうち、第二師団である『口』を司る長の配下ですよ」
「ふーん。で、ジジイはなんであんな恨まれてんだ?」
「ああ、他愛もないことですよ。私が魔王と他の師団長を殺したという、それだけのことです」
「……あー、うん、そうだな、他愛もねぇよな……」
 ジジイに常識を云々しても仕方ねぇよな、などとぶつぶつ呟きつつ立ち上がり、剛政は金眼を爛々と輝かせてこちらを睨み据える【悪食の王】及び悪魔プソポスを見遣った。
 では、つまり、あれらは同じ映画から実体化したいわゆる『お仲間』というわけだ。
 自分の主である師団長を殺したベルヴァルドを憎悪し、復讐の機会を狙っていた【悪食の王】は、この世界に実体化したに当たって、銀幕市民たちを巻き添えにそれを実行に移した、という辺りだろうか。
「……完全巻き込まれ損だよな、あいつらは……」
「どうしましたか、従僕」
「いーや、何でもねぇよ」
 例え伝わっているにしても、ベルヴァルドに言ったところで無駄だと剛政が肩をすくめると、悪魔紳士は薄く笑い、
「では従僕、君はあれを何とかしたまえ。私は、あの身のほど知らずに分(ぶん)というものを教えてやりますから」
「……おう」
 自然と対戦カードは定まり、ベルヴァルドが【悪食の王】へ向かって踏み出すと、悪魔プソポスは主人に向かって恭しく一礼したのち、剛政に向かって歩みを進めた。
 ゆらり、と、ふたつの戦場から殺意の陽炎が立ち昇る。
『カカカ。命乞いなど、出来るとは思うな』
「そりゃこっちの台詞だ」
 剛政が猛々しく嗤い、身構えると、プソポスはぎちりと牙を噛み合わせた。
『その余裕……』
 凶悪な牙が並ぶ口が大きく開かれる。
 訝しげに眉をひそめた剛政に、
『どこまで保てるか、試してみるとしよう!』
 カッ、と、白光とともに、口から衝撃波が放たれる。
「……ッ!」
 そこに凄まじい熱量を感じ、剛政は息を呑み、唇を引き結んで横へ跳ぶ。
 熱波が頬をかすめて行くのが判った。
 その一瞬あとには、どおん、という音がして、光が当たった部屋の一角は無残に大きく抉れていた。人間の身で喰らえばただでは済まないだろう威力の大きさだった。
 表情を厳しくした剛政を見て、プソポスは優越感に満ちた笑みを浮かべ、また口を開けた。
『避けたか……ならば、追撃の手を緩めぬとしよう!』
 彼が高らかに吼えると、それと同時に白い衝撃波が放たれる。
『カカカ、カカカカカッ! さあ……恐怖しろ!』
 ごおん、
『心配せずとも、血肉と魂は喰らってやる!』
 彼が吼えるたびに衝撃波が生まれ、どおん、という、部屋のあちこちが抉り取られ、破壊されてゆく音が聞こえる。
 どうどうと熱風が渦巻き、轟いた。
 衝撃波の方向性を見定め、それらを間一髪で避けながら悪魔を観察していた剛政は、目を眇めてプソポスを見遣り、ややあってにやりと笑った。
「なるほど」
 そして、両手に魔力を込める。
『何を笑っている!』
 カッ。
 放たれる衝撃波、熱風、凄まじいエネルギー。
 しかしそれは、
「『声』が媒体なんだな、お前の攻撃は。なるほど……『口』を司る悪魔の配下、ってのはそういうことか」
 魔力のこもった拳によって、粉々に蹴散らされ、振り払われた。
『なっ』
 必殺の一撃を紙くずのように振り捨てられ、悪魔がほんの一瞬動揺した隙を剛政は見逃さなかった。
 瞬時に床を蹴り、
『だからどうした、死ねっ!』
 身を低くして衝撃波をかわすと、一気にプソポスの懐へ入り込むと、
「んじゃ、とりあえず、黙れや」
 魔力を込めた拳を、悪魔の口に叩き込む。
『ぐっ、が……!?』
 肉と牙が砕ける生々しい音がして、口から血を噴きこぼしながら、咽喉を押さえたプソポスがよろめく。
「咽喉まで入ったろ。手応えアリ、だな」
 ぶちぶちという音と腕を引き抜きながら、にやり、と剛政は笑った。
 プソポスは激しく咳き込み、咽喉に手を当てて、口をぱくぱくと動かしたが、声が出ないようで、醜悪なその顔に、焦りがチラとかすめた。
「無駄だと思うぜ、取っちまったから」
 言った剛政が掌を開くと、そこから、血にまみれた肉塊が転がり落ち、べちゃり、という汚らしい音を立てて床に張り付く。
 そう、咽喉の奥の肉を声帯ごと引き千切り、『声』による攻撃を封じてしまったのだ、剛政は。
「さあて」
 つぶやく剛政の、普段は茶色い髪と眼が、白銀と真紅へ変化する。
 そして、彼の両腕を、赤いオーラが包み込んだ。
「覚悟は、出来てるよな?」
 それは確認ではなく最終通達。
 紛れもない恐怖で灰色の顔を彩り、激しく首を横に振って後ずさる悪魔を、剛政は鋭く睨み据えた。
「他人を苦しめるのはよくて、自分は駄目だ、なんて、言わせねぇ」
 淡々と、しかし怒りを込めて吐き捨てると、握り締めた拳に魔力を込め、踏み込む。
 一瞬で縮まる、彼我の差。
 ――振り上げられた拳が、悪魔の頭部を粉々に砕くまで、ほんの数秒しか必要とはしなかった。
「ったく」
 頭を失った悪魔が、鈍い地響きを立てて床に倒れ、その一瞬あとにはプレミアフィルムに戻るのを見届けたのち、溜め息をひとつついて魔力を消し、剛政は主人と【悪食の王】の対戦を見守る。
 クソジジイに限ってあの程度のヤツに負けるはずがないという確信があり、必要もなかったのだが、他にすることもなかったし、ベルヴァルドを置いてひとりだけ勝手に帰ろうものならあとで何を言われるか、何をされるか判らないという事情もあったからだ。
 見ると、【悪食の王】はベルヴァルドに向かい、延々と怨み言を垂れているようだった。
『貴様の仕出かしたことで、魔界が一体どれだけ混乱したと……!』
 主人は【悪食の王】の憎悪をむしろ楽しげに受け止めている風情で、怨み言も心地よい子守唄程度の認識でしかないようだった。だからこそ、ベルヴァルドを前に怨み言を垂れ流すだけという愚を犯している【悪食の王】を、いまだ殺さずに観察しているのだ。
 しかし、それでもそろそろ飽きてきたようで、【悪食の王】が口を噤んだところで、
「ご高説は賜りますが、正しい認識ではありませんね。あれは、私を疎んじていたところを付け入られて、『彼』のシナリオ通りにグランギニョルを繰り広げた魔王と師団長たちが悪いのですよ」
 冷淡にそう言い捨て、鼻で嗤った。
『なんだと、貴様……!』
「まあ、私も君の主人たちには退屈していたところだったのでね。ちょうどいい機会ではありましたが」
 そう付け加えると、【悪食の王】の殺意がどろどろと黒味を帯びる。
 剛政には『彼』が誰なのかまでは判らなかったが、ベルヴァルドの他にもタチの悪い存在がいることくらいは理解できた。もしかしてそいつも銀幕市に実体化してるんだろうか、などという意識がチラと根ざす。
『ぐぐぐ……き、貴様……!』
 醜い顔を怒りと憎悪に染めた【悪食の王】は、巨体をわなわなと震わせ、
『貴様は百度殺しても飽き足りぬ!』
 部屋全体が轟くような声で吼えた。
 しかし、ベルヴァルドは堪えた風情もない。
「そうですか……ならばやってみるとよろしい。君にそれだけの甲斐性があるかどうかは、はなはだ疑問ですがね」
『ほざけ!』
 怒りに全身の口で歯噛みする【悪食の王】の周囲に、黒々とした闇がわだかまる。
『貴様を飲み干し、我が身の内で永遠に喰らい続けてくれる!』
 それは、牙を携えた無数の黒い虫――あまり口に出して言いたくはないが、民家に頻繁に出没する類いの、黒光りする昆虫を髣髴とさせた――となって羽ばたき、気味の悪い羽音を立てながらベルヴァルドへと殺到した。
 それらに全身を覆われて、ベルヴァルドの姿が見えなくなる。
 しかし、正直、剛政には、心配どころか気遣うつもりもなかった。
『喰らい尽くせ、我が分身たちよ』
 ベルヴァルドが身動きひとつしないことに気をよくしたらしい【悪食の王】が命ずるのを耳にして、剛政は思わずつぶやく。
「……無理だろ、あんな不味いの」
 あのジジイを食うくらいなら毎食シュールストレンミングでも食う方がマシだ、などと、緊張感の欠片もなく剛政が思っていると、
「やれやれ……この程度ですか、つまらない」
 まったく調子の変わらない、呆れたような声が響き、
『な……!?』
 様子がおかしいことに気づいた【悪食の王】が呻くと同時に、ベルヴァルドの全身にたかっていた黒い虫たちが粉々に砕け散った。
 無論、たたずむベルヴァルドには一筋の傷もない。
「もう少し手応えがあるかと思いましたが……まったく、期待はずれでした」
 黒いスーツを手で払う仕草をしながらベルヴァルドが薄く嗤い、分身を破壊されてダメージを受けたのか、【悪食の王】は巨体をよろめかせる。事実、『彼』の全身にある口のいくつかが、紫色をした血を吐いていた。
『き、貴様は、一体、何なのだ……!』
「何と言われましても、ただの、しがない悪魔ですよ」
 今に至ってようやく己が性質の悪い存在に手を出したことに気づいたのか、【悪食の王】が顔色を悪くして――そもそもの色合いが色合いなので、恐らく、だが――数歩後退する。
「ですが」
『な、』
「君たちほど、無力でもつまらなくもありませんがね」
 彼が冷酷にそう告げた瞬間、何をしたとも見えないのに、【悪食の王】の身体の一部が弾け飛んだ。まるで、皮膚の下に埋め込まれた爆弾が爆発したかのような唐突さだった。
 ぶしゅう、という音がして、弾け飛んだ部分から紫色の血があふれる。
『がっ……!?』
 何が起きたか判らぬ驚愕の表情で【悪食の王】がよろめく。
 『彼』の身体のあちこちで、同じことが起こった。
『ぐ、が、ぎゃああああああああッ!!』
 部屋中を震わせるような声で、【悪食の王】が絶叫する。
 ベルヴァルドは――嗤っていた。
 まるで、面白いショーでも見学するかのように楽しげに、そして侮蔑を込めて。
「君程度の魔が、私と相対しようと思ったのが間違いです」
 宣告は静かで、冷ややかだった。
「後悔して死になさい」
 ばちん、ばちんと身体のあちこちを破裂させ、破壊され、全身を体液に染め上げながら吼えていた【悪食の王】の顔が、紛れもない絶望に染まるのを、剛政ははっきりと見た。
 しかし、それも、一瞬だった。
 次の瞬間には、【悪食の王】の胸部に、人間がふたりは納まるのではないかというほどの大きな穴が空き、そこから紫色の液体が迸ったかと思うと、
『閣下……今、お傍に参ります……!』
 すべての口から血を吐いた【悪食の王】は、ゆっくりと前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。
 そしてすぐに、何の変哲もないプレミアフィルムへと姿を転ずる。
 剛政はやれやれとつぶやき、【悪食の王】と悪魔プソポスのフィルムを拾い上げた。
「ま、こんなもんか」
「大して面白くもありませんでしたが、ね」
 くく、と嗤ったのち、
「さて、では帰りますよ従僕。つまらないことにかまけて、『楽園』のタルトの風味が落ちてしまっては一大事です」
 そうベルヴァルドが言うのへ、剛政はへいへいと返して頷いた。
「ンじゃ俺は晩メシの準備でもすっかな」
 昼食を摂ってからそれほど時間は経っていないはずなのに、疲れた所為か、身体は空腹を訴え始めていた。買いにいくべきか、それとも作るべきなのか、脳裏にメニューを思い浮かべる。
 ――主人の、相手が少なくとも目下のつまらない存在ではないことを示唆する意味合いを含んだ『彼』という言葉が気にかかったのは確かだが、今のこの状況でくよくよ悩んでも仕方がないというのもまた、事実だ。
 特にこの街においては。
「やれやれ……確かに、『頑張っていただかなくてはいけないこと』だったな、腹減った」
 ぼやきつつ、剛政は、主人が用意した『道』に足を踏み入れ、帰途を急ぐ。

 ――ちなみに。
 剛政が、自分が『楽園』から預かってきた紙袋を手にした主人から、『ターシャちゃんの夜のお部屋着に(はあと)』と書かれたメモと、手触りも着心地も抜群によさそうな、しかし男という性別で決して手を出してはいけないデザインの、七種類もの絹製ネグリジェを見せられ、意味深にフフフと含み笑いをされて青褪めるのは、そこからおよそ十分後のことである。

クリエイターコメントこんにちは、プライベートノベルのお届けに上がりました。

前半はコメディで後半はシリアスバトルという美味しいオファー、どうもありがとうございました! とても楽しく書かせていただきました。

ターシャちゃんもとい剛政さんの不幸ぶりと、図太さやへこたれない強さ、ご主人様の黒さ容赦のなさなど、気をつけて書いたつもりですが、いかがでしょうか。剛政さんと同じく『彼』が気になったのはここだけのお話。

なお、口調など、おかしなところがありましたら、ご指摘くださいませ。

ともあれ、楽しんでいただければ幸いです。
また機会がありましたら、どうぞご用命くださいませ。

どうもありがとうございました!
公開日時2008-01-14(月) 18:20
感想メールはこちらから